エド山口のギター漫談「洋楽のカバー」の台本書き起こし

お笑いコンビ:エド山口
株式会社アール・クルー所属
活動時期:1982年~
本名;武東 郁夫(むとう いくお)
モト冬樹の兄

エド山口のギター漫談「洋楽のカバー」
お笑い演芸館(2018年7月5日放送)より

エド山口「洋楽のカバー」

どうも。
芸能界の便利屋エド山口でございます。
ギターを弾いて56年目。
中学2年の時に質流れの1200円のギターを地元で買いまして。
築地生まれの巣鴨育ちなんで地蔵通り商店街っていう所で育ったんです。
で弟はそこで巣鴨で生まれてるんですよ。
だから俺が昭和39年っていうと東京オリンピックの年ですね1964年。
7月にラジオを聴いてたら…。
これがきたんです。
こんな弾き方ないんでビックリしちゃって。
「なんだ?これは」って。
これ関東ではテケテケサウンドっていうんです。
四国ではデンデケデケデケっていうの。
だから『青春デンデケデケデケ』って映画あったじゃないですか。
あれ演奏してるの浅野忠信君とかやってますけど実際の音は僕が弾いてるんですね。
大林監督が「いや~ちょっと残るもんだから映画はさエドちゃんやって」って言うんでうちのバンドでやってんですけど。
自慢です。ハハハハッ。
これね普通に弾くと…。
これを弾く方の右の手のひらで弦をちょっと押さえるんです。
これミュートっていうんですね。そうすると…。
これがかっこいいの。
でもう弟も…。
まだ髪の毛フサフサの冬樹がいて。
「お前やるか?」って言ったら「兄ちゃん一緒にやる」って。
これでうちの一家はねもう決まりましたね。
親父が医者子供2人がバンドマン。
一家離散。
お袋はアパート経営に専念しちゃって。
気が付いてみたらあれから56年兄貴のエド山口は…。
相変わらずテケテケ。
弟はと思ったらテカテカ。
しかも頭にスズメのっけちゃったりして。
駄目だって言ってんのにね。
今日はこのベンチャーズが日本で大ブームになった昭和39年40年の前の話をします。
この前まだビートルズが出てこないのでアメリカンスイートミュージックっていう…。
今若い人はオールディーズって言い方してますね。
例えば『ダイアナ』とか。
ああいうアメリカの歌が日本にドッと流れ込んできてその時に英語がみんなできないんで歌詞もあんまりできない。
聴く人も英語わかんないんでだったら日本語で歌っちゃおうよという事で日本語に訳して歌うんです。
これを洋楽カバーと言ってます。
あの頃はね魚と家があれば歌ができたんです。
「Wow wow wow…」
「wow yeah yeah…」
「Wow wow wow…」
「wow yeah yeah…」
1961年昭和36年ヘレン・シャピロの『悲しき片想い』。
これ日本では弘田三枝子さんが…。
「こんな気持ちがいつまでつづくのかしら」
…という歌。飯田久彦さん。
ニール・セダカの『小さい悪魔LITTLE DEVIL』。
これも昭和36年。これはすごいな。
「Woh woh woh woh yeah yeah yeah」
「Hey,littleデブ」
デブじゃねえこの野郎。
俺が一番ビックリしたのは小学校の…昭和31年だから小学校の1年か2年ですよ。
俺だって23年生まれの団塊ですから。
もう70ですよ7月で。
なんだこの「おお~」っつうのは。
そんでねその俺が小学校1年か2年の時…昭和31年にプレスリーが『ハートブレーク・ホテル』って大ヒット曲飛ばすんです。
日本ではね小坂一也さんって方が歌ったんです。日本語で。
「恋に破れた若者達で」
「お猿のかごやだホイサッサ」
…って聞こえたんだよ。
ああ日本語って英語の歌は無理なんだなと子供ながら理解しました。
昭和33年『ダイアナ』という大ヒット曲が生まれます。ポール・アンカ。
今の方みんな英語で歌いますよねカラオケでもね。
「I’m so young and you’re so old」
「This,my darling I’ve been told」
昔は英語できないから日本語に訳すの。
どんな詩だったか。
「君は僕より年上だ」
「だから僕は年下だ」
当たり前だよ。
これ昭和33年。
昭和35年ニール・セダカが2曲『恋の片道切符』と『おお!キャロル』。
これを日本語に訳して自分が訳して歌ったのはかまやつ・ヒロシさんだったの。カップリングです。
かまやつ・ヒロシ訳詞歌かまやつ・ヒロシ。
かまやつさんともね…よくしてもらったんですけどね亡くなっちゃってね。じゃあかまやつさんいきますよ。
『恋の片道切符』。
「Choo choo train汽車は行く」
当たり前だっていうの。
このカップリングの『おおキャロル』。
これもかまやつさんの訳詞。
「おおキャロル」
「好きなんだ」
「おおキャロル」
「愛してる」
「おおキャロル」
「好きなんだ」
「おおキャロル」
「愛してる」ってこれホントに…。
これホントに洋楽カバーなのかと。
昭和37年カスケーズというグループが『悲しき雨音』。
「Listen to the rhythm of the falling rain」
「Telling me just what a fool I’ve been」
大ヒット。翌年日本でも3組がカバーしてる。
そのうちの1組目方誠。
お友達で同級生なんですけど23年生まれの。
美樹克彦さんの事です。
目方誠でデビューして13歳で。
で昭和40年に美樹克彦って名前を変えて「かおるちゃんおそくなってごめんね」っていくわけですね。
その目方さんが出してた当時の5枚出したカバーのうちの4曲目がこの『悲しき雨音』。すごい歌詞です。
「1人でどこかへ行こう」
「遠くへ行こう」
「2人で一緒に行こう」
「みんなで行こう」
何人で行ったかわかんないんだこれ。
さっき言ったプレスリー『好きにならずにいられない』。
「Wise men say」
俺英語の歌詞ここまでしか知らないんです。
日本ではね和製プレスリーと言われた佐々木功さんが歌ってるんですね。
佐々木功さんといえば…。
「さらば地球よ旅立つ船は」
「宇宙戦艦」
「ジャンジャンジャンジャンジャン」
いや1人じゃできねえよみたいな。
この和製プレスリーだった佐々木さんが日本語で歌ってます『好きにならずにいられない』。
えっとなんだっけな…。
「好きに」
「ならずには」
「いられやしないいいいん」
寝ちゃうよみたいな。
そうこうしてるうちに日本にビートルズが入ってきちゃうの。
昭和39年。やっちゃいけないの。ビートルズもね日本語に訳して歌ったグループがたくさんいるんです。
クール・キャッツというグループがいたんですね。
これが2枚目のシングル盤が『プリーズミスターポストマン』。
これ昭和36年1961年にマーヴェレッツという黒人4人組の女の子が歌ってヒットした曲をビールズがカバーしたと。
39年の『プリーズ・ミスター・ポストマン』。
「(Wait)Oh yes,wait aminute Mister Postman」
「(Wait)Wait Mister Postman」
「ミスターポストマン手紙」
「早く見たい中身」
当たり前だろ。
やっちゃいけないんです。ビートルズは訳しちゃいけない。
『Help!』。
「Help!I need somebody」
「Help!Not just any body Help!」
この「Help!」がかっこいいの。
これを日本語で訳したら…。
「助けて~!誰か早く」
「助けて~!僕が行くまで助けて!」
…っておかしいじゃない。
これビートルズが知ったら怒りますよ。
やっちゃいけないとこなの。禁じ手なんですよね。
東京ビートルズっていうグループがいて新宿のアシベでライブレコーディングっていうから見に行ったの。『Yesterday』。
アルバムのB面の1曲。
『Yesterday』あの有名な。
「昨日」
そこは「Yesterday」でもよかったんじゃないかな?
このね洋楽カバーがなくなったのはきっかけはね昭和42年です。
この年レコ大取った曲が…。
「森と泉にかこまれて」
「静かに眠る」
「ブルーブルーブルーシャトー」
このジャッキー吉川とブルーコメッツの井上忠夫さん作曲の『ブルー・シャトー』がレコ大取ったんで
日本のポップスも世界並みになったからもうカバーはやめようって事になったんですけどものには例外。
西城秀樹ねっ。
「ヤングマン」ここね。
「さあ立ち上がれよヤングマン」
これ売れました。当たりました。「Y.M.C.A」。
VillagePeopleというグループが向こうで歌ったのを西城さんがカバーした…西城秀樹君がね。
これピンク・レディーもカバーしてるんです。
VillagePeopleの『In The Navy』っていう曲。
すごいですよ。
「やっちゃいなやっちゃいな」
「やりたくなったらやっちゃいな」
「じゃあやろうか?」みたいな。
一線越えちゃ駄目でしょみたいな…。
結構ねこういう例外はあるんですね。
最高だったのはねクール・ファイブがカーペンターズを出したんですよ。
知らないでしょ?
すごかったですよ。
「everyシャララeveryウォウォ今」
すぐ廃盤になりましたけどね。
もうちょっとやっていたいんだけどホントに今日はお時間ねお客さんの顔見て安心しました。
若い人ホント誰もいなかった。
ありがたい事です。エド山口でした。
どうもありがとう。

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